本当は何もかもが苦手なのに、自分を偽って、見栄はって、立派な人間にみせる。

ただの、自己満足なのに。偽りの自分が誉められても、本当の自分は誉められない。むしろ、晒されているんだ。

いくら大きな自分をみせても、いくらかっこいい自分をみせても、きっと、本物の自分をさらけ出す方がよっぽどかっこいいのにね。

だから、いつでも自分をみせるんだ。偽りじゃなくて、本当の自分を。時に、傷ついてもね。
■偽りの自分が嫌になった

「高校時代の偏差値、どれくらいだった?」と聞かれると、ついつい自分の実際の偏差値より高く言いたくなってしまう自分がいる。それは、たぶん、低い数値を相手にいうことにより、「こいつ、頭悪いな」と思われることを防ぐ一方、自分を高くみせ、「すごい!」という言葉をもらいたいから、という考えがあるのかもしれない。

「○○って知ってる?」と聞かれると、ついつい「知っている」と見栄を張りたくなってしまう。たとえしらなくても、知っていると話すことでなんとなく会話の流れに乗れる、ということもあるだろうけど、やっぱり知らない=無教養と思われるのがとても嫌なだけだとおもう。

だけど、そんな偽りをよく使った自分は過去の自分。今は、もう使わないことにしている。なんとなく、そうやって誉められたとしても、相手は偽りのすごい自分を誉めているだけであって、本物の、ここにいる自分を誉めているわけじゃないから。むしろ、偽りのすごい自分によって本物の自分は「できない奴」として晒されているかもしれない。

自分に自信がないから、実際の数値よりも大きい数値を答える。基本的には相手の答えに合わせて変えるだけかもしれないけど、そういう自分の言動がとてもいやになった。



■だから偽らなくなった

だから、努力をすることを覚えた。努力をして、たとえ偽らなくても今の素の自分を相手に話せるように。無理に自分をつくって相手に合わせなくても、いろいろなことを覚え、いろいろなことを知った自分はどんなことにも対応できる。

たとえ、時に相手に笑われようとも、時に傷ついても、それを恐れちゃいけないっておもった。偽って偽って誰かに自分のことを好きになってもらったとしても、その人は、私ではない私を愛しているに過ぎないのだから。

何より、素のままで友達とふれあえる自分が一番輝いているとおもう。そして自分が好きになった。いつでもこっちが心を開かなければ相手も開いてはくれないし。こっちが偽れば、相手も偽る可能性も強くなる。

嘘をつくことで相手を救うこともできるけど、自分に嘘をついて自分を大きくみせるのだけはもうやめている。それでも、やはり昔の癖で時々、見栄を張ってしまう自分がいるのはご愛敬かもしれない。



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