君の思っている普通は、もしかすると偏見なんだよ。なぜなら、君が偏見だとおもっている彼らの意見が普通かもしれないんだから。

それじゃ普通って何?そうだね、実は絶対な普通なんて存在しないんだよ。誰もが自分の定義で普通を作り上げている。その文化の、その時代の、その性別の。

ある人はその枠の中にいつでもいたいと願うし、ある人は普通の枠から出ていたいと願う。だけど、実はどっちも普通で、どっちも変わっているだけなのに。

結局、自分の生き方を決めるのは自分だろ?だから、自分の生きたいようにすればいいんだよ。
■偏見=普通な世界

「あいつ、変わってるよね。」って街のファーストフード店で話す人達。そう、”あいつ”は”彼ら”というグループから見ると、とても変わった存在。

それじゃ、”あいつ”の視点で見てみる。”あいつ”や”あいつを取り巻く人達”から見てみると”彼ら”という人達は「変わっている存在」。”彼ら”は”あいつ”を特別視するから。だけど、”あいつを取り巻く人達”からしてみると、”あいつ”はいたって普通な人間。なに一つ普通な人間。



■普通とは何?

じゃ「普通」ってなんなのさ?って言われると、とても答えに困ってしまう。だけど、結局、同じように見える私達人間でも、「人間」っていうカテゴリに分けられる場合は結構少なくない?いつも男性・女性、日本人・アメリカ人、東京人・大阪人、子供・大人・老人ってかんじで、必ず分けられてしまう。それはなぜかっていうと、やっぱり分けられた人達にとっての「普通」が同じ傾向にあるから。男性は男性独特の価値観をもっているし、日本人は日本文化を基礎とする価値観をもっている。そういう理由からだとおもう。

だから、結局、「普通」っていうのは何に焦点をあてるか、誰に焦点をあてるかによって異なってくるモノだと思う。文化・性別・年齢・立場などなど。それによって随分変わってしまう。誰一人として同じ環境で育ってきた人なんて存在しないんだから、それも当然なのかもしれない。



■自分にとっての普通

自分にとっての普通は、壊したいモノ。いつでも普通じゃいやだ、って心の中で思っている。他人とはいつも違うことをして大多数になりたくない、って。だけど、そう粋がっている自分ももしかしたら、「普通」の枠にあてはめられた人間なのかもしれないよね。「普通を嫌う人達」という普通の人達に。

だから、結局、普通という枠の中で生きたくても生きたくなくても、私達ってやっぱり「人間」というカテゴリで括られている普通の存在なのかもしれない。どんなにもがいても大差ない。きっとね。

でも、やっぱり、自分が思う「普通」っていうものをいつまでも信じていきたいっておもう。時に偏見って注意されても、自分の意見に誇りをもっていきたいな、っておもう。もちろん、自分が間違っているな、っておもえるときは、素直に直したいけどね。

そして、こうやって考えている自分はやっぱり変わっている人間なんだろうな、って自分の「普通」の考えで思ったりする。他人からみても、きっとそう見えるに違いないけどね。

*補足:国民調査やアンケートで出された事実が普通ということもある。だけど、その場合は、やっぱり「一般」って言葉を使う方が正しいような気がする。もちろん、これも私の個人的な意見で、ある人に言わせれば「偏見」なんだろうけどね。



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